History of Hemp

麻の歴史

① 麻と共に生活をしていた日本人

② なぜヘンプが規制されたのか?

③ GHQ主導による初めて禁止された日本の大麻

④「石油化学産業」の謀略

①麻と共に生活をしていた日本人

日本人は、稲作より古い1万年以上前から大麻という「農作物-自然植物」を"衣食住"への利用や、"精神的支柱"として麻と共に生活をしていました。

ほんの80年ほど前まで、非常に身近な存在だったのです。

特に江戸時代から昭和初期までは、重要な栽培作物として位置付けられております。

(※「福井県:鳥浜遺跡」や「千葉県:沖ノ島遺跡」では、約1万年ほど前の地層から麻の実や種子などが出土しています。)

また、かつての日本に生えていた大麻は「繊維型」であったため、いわゆる"向精神性のある薬物"として用いる習慣が日本には存在しませんでした。
(※より正確に言えば、大麻を喫煙していたことを示すような資料は日本では見つかっていません。)

②なぜヘンプが規制されたのか?

簡単にお伝えすると「アメリカが国を大きくする為に仕掛けられた統制である」と言うことです。
以下簡潔に、5ステップで深ぼります。
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①1770年、アメリカがイギリスに対し独立戦争を起こし、植民地から解放された。

②時は経ち、1840年:アヘン戦争がきっかけとなる。
-イギリスが清(中国)との間で起きた戦争でありイギリスが勝つのだが、背景は「清国内でアヘン中毒者が発生し、国の経済も取り返しがつかなくなったため、弱体した清は負けてしまった」のである。

③一方アヘン戦争を目撃していたアメリカは、自国の力を弱めるアヘンをはじめ麻薬を徹底的に排除する流れが生まれる。
-その後アヘン以外の麻薬も禁止する方向へ
-1912年、史上初の薬物統制に関する世界的規模の条約「万国アヘン条約」が締結され、アヘンをはじめモルヒネ/ヘロイン/コカインと自然物に由来する多くの麻薬がその対象となった。

④アメリカは、麻薬(アヘンやモルヒネ)を規制したことでかえって大麻が広まることを恐れ、1915年に徐々に州ごとに大麻を禁止していった。
-大麻は当時から獣医学関連の医薬品としても広く使われていたため、製薬業界が禁止に対し強く反発した背景がある。
-同じ時期、1917年には「禁酒法」が連邦会議を通過している。
-1926年「第二アヘン会議条約」において、今まで規制されていたヘロイン・コカインに加えて「大麻の取引が初めて統制対象」となった。

⑤その後さらに徹底的に大麻排除に取り組んだアメリカは「1937年:大麻(マリファナ)課税法が制定」され「1941年にはアメリカから医療用大麻が存在しなくなった」のである。
-大麻課税法は、特定の工業・医療目的で使用する場合、現実性を欠く条件を打ち立て、実質的に医療大麻の使用が激減した。
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③GHQ主導による初めて禁止された日本の大麻

大麻取締法は、1948年7月10日に正式に施行され現在に至るが、この法律が誕生する背景を皆さんに知っていただきたい。

前段でも記述しているが、そもそも日本には、この法律が成立する以前には大麻を取り扱うことには何の罰則もなかった。そればかりか、大麻は優良な"農作物"として国が奨励し、貧しい農民の命を支え全国各地で生産されていたのである。

上記を踏まえ以下簡潔に、5ステップで深ぼります。
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①現在の取締りの基となった転換期は、第二次世界大戦終戦に伴うポツダム宣言 (1945年)の中に、大麻取締法へと繋がる省令がある。
-GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から出される覚書(メモランダム)と呼ばれる要求に応じて命令が下され、各分野で罰則も伴う原則が定められた。
-特にGHQが強く要求したのは「大麻を"麻薬"として徹底的に管理せよ」というものであった。

②多くの命を支えてきた日本の大麻産業を何とか残さなければと、大麻生産関係者や県庁特産課をはじめとする役人は様々な働きかけをおこなう。
-日本政府は、現在の日本には麻薬として取り締まる大麻は存在しないため、大麻を除去する必要はないと主張しており、何とか大麻農家を守ろうとした背景がある。

③しかしGHQは、ポツダム宣言から3年間に渡り次々に覚書を日本に指令した。
-1947年4月23日:大麻取締法のベースとなる「大麻取締規則」が配布
-1948年7月10日:「大麻取締法」施行

④1950年、翌年にサンフランシスコ平和条約に先立ち、日本では第7回通常国会衆議院厚生委員会が開かれた。
-この委員会は議事録が残されており(『時の法令』1965年4月 通号530号)、ここでは割愛するが、一貫して憂慮されている点は「いかにして農作物としての大麻 を守っていくべきか」ということであった。

⑤結果として1953年の改正では、種子を規制から除外し規制緩和を行うが、海外から輸入されるジュート繊維や化学繊維の急激な台頭により、大麻繊維産業は"衰退"していく。
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④「石油化学産業」の謀略

1990年代にアメリカの大麻規制の歴史を新たな視点から解き、大麻解禁運動に大きな影響を与えた作家がいた。

UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)の長期研究プロジェクトの研究員であったジャック・へラーは『ヘンプとマリワナの陰謀・裸の王様』という著書の中で、さまざまな文献をあげながら次のように述べている。

「大麻禁止は、一言でいうと石油産業の謀略です。1930年代に起こってきた石油化学産業にとって、大麻は、目の上のたんこぶとなった。なぜなら、大麻が石油と同等、あるいはもっと様々な製品を作り出すことができるからです。」

「大麻繊維産業だけではなく、大麻によるセルロースを使った人造絹糸やセルロイド等を改良していくことにより、石油産業と同じ市場を奪い合うことになることは明白だった。しかし、自国の大麻産業を真正面から潰していくことのできないアメリカ政府は、麻薬として批判され始めていた大麻に対する社会状況を利用して、毒性の強い麻薬として大麻を取り締まることにより、大麻産業そのものを消滅させようと企てたというわけだ。」

「今までアメリカがおこなってきた石油産業を主軸とした世界戦略は、その初動の時期にアメリカ政府と産業資本家が深く関与したもので、大麻産業がその犠牲となった。」